阿弥陀寺(御陵天徳町)は、天智天皇陵の南東、東海道の北に位置し、山号を「吉祥山」と呼ぶ。
浄土宗知恩寺の末寺である。
また、当山は山科の地で80余年の歴史を持つ寺西幼稚園の母体でもあります。
「阿弥陀堂、在同所北方南向、本尊阿弥陀仏、作行基・開基同僧」(「山洲名跡志」)とあるように、開祖は奈良時代の僧行基と伝える。後に天台宗の別院となっていたが、1357年(正平12年)知恩寺の住寺となった円智が浄土宗に改宗したと言われている。寺蔵の阿弥陀如来像は源信の作とも伝えられ、平重盛(たいらのしげもり)の念持仏と言われる。
奈良時代 728年
奈良時代の僧行基は、興福寺の前身であった山階寺跡地を訪れ、荒れ果てた墓地を整備し、堂を建立した。
平安時代 1177年
平重盛は東山の小松谷に堂を建て48躰の阿弥陀仏像を安置したが、その際に当寺の本尊阿弥陀仏を移して祈念したとされ、その後、当寺に復帰し祀られている。
南北朝・室町時代 1357年
3月27日、知恩寺の住寺となった円智が、阿弥陀寺を天台宗から浄土宗に改宗する。
南北朝・室町時代 1467年
応仁・文明の乱の中で、安祥寺も兵に火を付けられ焼亡する。阿弥陀寺も同様に焼亡したが、わずかに本尊阿弥陀仏は難を免れる。
江戸時代 1663年
狩野岑信作の「釈迦三尊像」が阿弥陀寺に所蔵される。
江戸時代 1849年
第49世輪誉和尚が知恩院門跡尊超法親王の扁額下賜を願い出て、同年12月にこれが認められ、門跡直筆の寺号扁額が下賜される。現在、この額は極彩色菊御紋付の堅額として本堂に奉掲されている。
明治時代 1907年
阿弥陀寺門前に桜木が植えられる。平成29年(2017)に伐採されるまで、110年間に渡り、阿弥陀寺門前を飾った。
大正時代 1924年
6月28日、浄土宗開宗七五〇年記念大会の事業に貢献したとして、阿弥陀寺が、総本山知恩院寺務所より感謝状を受ける(感謝状・現存)。
昭和時代 1941年
4月10日、山科初の幼稚園である寺西幼稚園が開園する。
昭和時代 1980年
寺西幼稚園創立40周年。園の西側に6教室を増設し、旧園舎を取り壊し、周囲を整備し、鉄筋2階建て8教室が完成する。
平成時代 2018年
3月16日、NHKテレビ番組「京いちにち」の「京のええとこ連れてって」の中で、寺西幼稚園が紹介される。